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 「大若=神戸の壁跡1・17の集い」
活動終了について
  このほど、トップページに掲げた通り、当実行委員会委員長でもあるフレール・アスタ若松自治会会長の決断、真陽婦人会会長の同意を以て、震災直後から続いた「大若=神戸の壁跡1・17の集い」の終了を決定しました。

 もとよりわたしたちの「集い」は、「阪神・淡路大震災」全般を見渡すような、大層なものではありませんでした。焼け残った「神戸の壁」を目印に、自ら被災者でもある自治会や婦人会、近隣有縁の面々が、御遺族各位を中心に迎え、大若地区に於ける17柱の犠牲者各位への追悼の念を共有するための、素朴な集いでした。

 それでも、時の流れや社会的な事情は、追悼の対象である17柱の皆様の面影を思い浮かべることのできる住民を激減させてしまいました。また、自治会活動を担って来た人たちも高齢化が進み、思うような活動ができなくなってきました。そんな人たちには厳寒期の未明、屋外行事への参加は危険すら伴う困難なことになってしまいました。

 一方、実行委員会は結成当初から大半がこの大若地区や長田区とも、神戸とも地縁のない面々、あるいは犠牲者の皆様との血縁も面識もなかった面々でした。それが「神戸の壁保存運動」を縁に寄り合った、外来のボランティアの集団なのです。
 本当なら、「神戸の壁」が、淡路の皆様の御手に委ねられ、公的機関の各位に全てをおまかせした時点で活動は了えればよかったのかも知れません。それでもわたしたちは、17柱の皆様の面影を追い、併せて「震災の記憶の継承」を図って活動を続けてきた、つもりでした。
 ところが気づけば、いつしか神戸の壁保存運動提唱者による音頭取りは、「午前5時46分のイベントの継承」に拘泥するだけの形式墨守と、保存運動提唱者が自らの活動を誇示したいがためだけの売名活動に堕していたのです。
 「神戸の壁保存運動」は、そんなために続けられてきたのではありません。

 そんなわけで、その保存運動提唱者によって淡路島や三宮、脇浜あたりで散発的に催されている「『神戸の壁』保存運動」等とは袂を分かち、この大若地区で、なるべく過ごしやすい時間帯に、普段から親しみ深いスタイルの、肩ひじ張らない集いを、と、装いを改めたのが婦人会得意の「ふれあい喫茶」形式の集いでした。
 この「かたち」は、参加者の皆様からも、地域の皆様からも好評をいただきました。その中で気づいたこと、確信できたことが、ありました。


 もう、大げさな行事はいらない。
 日々通い合うふれあいと、確かな営みがあるから。
 年じゅう いつだって。

 忘れない 遠い日のこと、みんなのこと。
 思い出す あの日のこと、今日までのこと
 考えられる これからのこと、子どもたちのこと。

 もう、だいじょうぶ。


 実行委員会の面々は、ボランティアというものは「地元の人たちや御遺族、被災者各位が望みつつも実行できない、という取り組みを、外からお手伝いに参じるもの」だと考えて活動してきました。
 地元の人たちや御遺族、被災者各位が「もういいよ」とおっしゃるなら、やめる。「やめる」のもまた、「ボランティアの使命」だと考えます。
 もちろん、一度「行事」が途切れたからといって、もう金輪際復活させてはならない、というわけもありません。むしろ、本当に待ち望まれていた取り組みが途切れたのならば、きっと復活の要望が出ることでしょう。

 もし、地元の皆様、御遺族や被災者各位からそんな声が上がり、皆様の御手で新たなお取組みが始まるのなら、そして、そこへお召しがあるのなら、喜んでまた、ご協力に参じます。わたしたちは、そういう状況を待っています。

 …そう。そんなふうに、なればいいな。

 
今回のお知らせ並びにこれまでの活動、また残務整理についてのお問い合わせなどは、引き続き この欄からメールで承ります。

メールアドレス= azisai653あっとyahoo.co.jp
(「あっと」というのは「@」のことですね)

「大若=神戸の壁跡1・17の集い」実行委員会2019 副委員長 船引康義

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