大若地区について
古くはマッチ産業、次いではケミカルシューズの町として名を馳せた神戸市長田区南部に、神戸市立真陽小学校があります。 明治20年以来の歴史を誇る真陽小学校は、これら地場産業や間近な兵庫、神戸の造船業の繁栄に伴い、戦前の一時期には在籍児童数3691名という日本最大の小学校でもありました。 以来、学校も地域も目まぐるしい変遷を経て、現在、その校区のうち国道以北に位置する「大橋町三丁目」「大橋町四丁目」「若松町三丁目」「若松町四丁目」の各町丁を総称して「大若地区」と呼んでいます。 JR新長田駅のすぐ南東部を占めるこの地区は、木造の小さな建物が多い過密地区、という印象でしたが、昭和40年に策定された神戸市の総合基本計画により、神戸市全体の「西部副都心」とされるべく整備が進められてきました。 ところが、そこへ発生した平成7年の「阪神・淡路大震災」。とてつもない被害を受けた町のために、改めて快適な住宅づくり、防災拠点づくりなどの新しい市街地再開発事業の計画が作られました。そして市民や役所、企業が話し合い、協力しあってその実現に努めました。 「大若=神戸の壁跡1・17の集い」が開かれる市営住宅「フレール・アスタ若松」も、この計画の一環として建てられた住宅です。この住宅や西隣の「アスタピア新長田駅前通り」、そして周辺の新しい住宅にはこの町で被災した住民がたくさん入居していますが、いろんな事情でこの町を離れていった人たちも少なくありません。でもその反面、新しくやってきた人たちがまた、この町に新しい風を吹かせてくれています。 今、町には広々とした街路に近代的な建物や色とりどりの商業施設や交通機関が整い、訪れる人には「大震災に見舞われた町」の痕跡をうかがうことが難しいほどのきらびやかさに満ちています。 そして平成31年には、近くに兵庫県と神戸市の合同庁舎もオープン。これまで中央区に集中していた県庁や市役所の一部がここに移され、町は新たに、重要な機能を担うことにもなりました。 …が。 まだまだ、ここに住むもの、働くものにとって、難題は山積みです。 |
参考リンク「神戸市・新長田駅南地区 震災復興第二種市街地再開発事業の概要」 |